最後にブログを書いた日から
1年以上が経過していました。
最後にブログを書いたのは2024年の7月。
この1年の間、私に何が起こったのかを
端的に説明しようとして浮かぶもの・・・。
長女が中2になり次女が小3になった。笑
これって私だけですか?
何かを思い出そうとする時、あれは何年前だったかを考える時、
子供の年齢や学年を基準に計算しないと分からない。
自分の人生を生きているつもりなのに、いつの間にか自分の人生の基準が子供になってる。
いいと思うんです。私はそこに幸せを感じたりもします。
そこに幸せを感じるあまり、私はどこに行ったの?と思うことがあるんです。
21歳まで学生をさせてもらい、生徒募集をしながら卒業すると同時にピアノ教室を開きました。
数人の生徒さんを持ちながらも実家にお世話になっていました。
実家に生活の面倒を見てもらいながらも、ピアノ講師だけでは微々たる収入しかなかったので
アルバイトを掛け持ちしながら自分のお小遣いを稼いでいました。
25歳で結婚するまで父に養ってもらい、結婚してからは夫に養ってもらっています。
「私の望んだ人生こうじゃなかった」
ってたまに思うんです。
20歳前後の私が思い描いた私の人生。
「音楽で稼いだお金で高級マンションを購入して高級車に乗って一生独身生活を満喫する」
その当時の私の周りには、音楽で成功している先生や先輩がたくさんいたんです。
あえてそういう場に自分から入っていって、刺激を受けるようにもしていました。
とてつもなくキラキラ輝いて見えたんです。
でもそんな時に、ある人に言われた言葉があります。
「みんなキラキラして見えるけど、闇を抱えながらもがいてるよ。
結婚とか出産とか女としての幸せは手放したから出来ることよ。」
結婚願望が全く無かった私ですが、母親になりたい気持ちはあったんです。
その時に結婚するという選択をしました。
そして要領良よく出来ない私は、結婚するからには家事は全部わたしがやるから
お金はあなたが稼いできて。
というスタンスになり、主も昔ながらの九州男児!みたいな性格なのでそれで落ち着いたんです。
25歳で結婚して28歳で長女を出産して5年後に次女を出産しました。
とにかく主婦業と育児に専念しました。
それが私にとっては幸せでしかありませんでした。
その間もピアノ講師の仕事はずっと続けていて産休は出産前後の3ヶ月だけだったので
生徒さんも離れずにずっと習ってくれました。
それでもたまによぎるんです。
「私の人生こうじゃなかった。」
そのモヤモヤがずっと消えなかった。
そのモヤモヤを晴らしてくれたのが
『グラスサンドアート』
との出会いでした。
その辺のいきさつや私の想いはこれからお伝え出来ればと思います。
私と同じように、自分の人生を見失いながらも
一生懸命に必死で家事や育児を楽しんでいる方にこそお届けしたい。
ちょっとした家事育児の息抜きに出来るものを。
昨日か今日かも分からないほどに慌ただしく毎日を過ごしている方にこそ
受け取っていただきたいものを準備中です。
同じ境遇の人にしか分からないモヤモヤを
ほんの少しでも軽くする事が出来ればという思いでお届けします。